゜・*:.。.二番目.。.:*・゜


あれから一年が経った。
お兄ちゃんからは最初の三日だけ電話が着たが、それ以後は母からかけないとすることはなかった。
夏休みもお正月も、なんだかんだと理由をつけては、どちらも帰ってこなかった。

私はまだ、お兄ちゃんのことが忘れらなかった。
初夏の暑さは私を汗だくにし、去年のあの日を思い出させる。


*

私はあの日、家に帰った後考えた。
どうしてお兄ちゃんは、東京の地元の大学に夏まで通っていたのに、急に北海道の大学に行ったのかを。
その時不意に、私の足はお兄ちゃんの部屋に伸ばしていた。
私は、お兄ちゃんの本がぎっしり詰まった本棚を前にし、また涙が出そうになっていた。

「本は持っていかないの?」
「お気に入りの数冊があればいい。」

そういってお兄ちゃんは、適当に手に取った本をぽいぽいと、黒のトランクに投げ入れた。
その動作に私がクスクス笑うと、お兄ちゃんはちょっと頬を赤くした。


私は一冊の本を手にとった。
『上級カメラ 著 石咲幸之助』

カメラ――お兄ちゃんにとってそれが全てだったと思う。
暇な時は、レンズを綺麗なピンクの布で拭いていたような気がする。
一生懸命、レンズに布を擦りつけるお兄ちゃんは、なんだか愛らしかった。
お兄ちゃんはカメラマンになりたいと言っていた。
東京は自然が少ないからやりにくい、俺は自然とか動物が撮りたいんだ。
口癖の様に言っていた。

「東京駅の人が混雑してる様子を撮れば良いわ。それも芸術よ。」

私がそう言うと決まってお兄ちゃんは笑った。
お兄ちゃんは、私と二人で幸せになるよりも、夢を追いかける方を取ったんだ。
どんなに、頑張っても所詮私は二番目だったんだ。


*


一年が経つ。私は高校二年生。
夏休みに入る一週間前で、テスト返却だから早く帰れる。
いつもの足取りで、この暑い夏の日でもひんやり冷たい廊下を歩く。
掲示板には、夏期講習の日程が貼り出されていた。
靴箱の中の黒のローファーに手をかけ、それを地面に乱雑に落とす。
二足のローファーは不規則な方向に向いた。
仕方なく屈んで、拾おうとしたその時、背後で声がした。

「藤本さん、メルアド教えてよ。」

振り向いたら、自分より十センチ程高い、茶色の髪で左耳にピアスをした男子が立っていた。同じクラスの沢渡君だ。

「悪いけど、私携帯持ってないの。」

嘘じゃなかった。親は持つように何度も勧めた。
でも私は応じなかった。
もっていたら、お兄ちゃんからの着信があるんじゃないかって無駄な期待に押しつぶされそうになるんじゃないかって思ったから。

「へー、珍しいね。じゃあ、家の番号教えてよ。」
「は?」

咄嗟に出た間抜けな声。
沢渡という男はどういうつもりなんだ。

「え。なんで…。」
「なんでって、電話したいから。季更ちゃん、教えてよ。」

私は靴箱を背にして、ぐんぐん迫ってくる沢渡から遠ざかる術を考えた。

「教えてくれないとキスするから。」

私は言葉が出なかった。背中に冷や汗が流れる。
冷たいとかそんな感覚は分からなかったけど、暑さのせいではないということは分かった。

私はしょうがなく、無言で鞄を開き、生徒手帳に乱雑に電話番号を書いた。
それをちぎって、沢渡に押し付け、ローファーをちゃんと履かないまま、外に逃げるように走った。
百メートル程走って振り向いたけど、沢渡はもうさっきの場所にいなかった。

「お姉ちゃん。」

後ろから声が聞こえた。尚美だ。
マンションの一階でエレベーターを待つ時に会うのはしょっちゅうのことで、でもいつも尚美が後に来る。

「おかえり。テスト返ってきた?」」
「ああうん、行けそうだよ。お姉ちゃんと同じ高校。」
「尚美の成績ならもっと上の高校いけるじゃない。南条高とかさ。」
「嫌よ。私、お姉ちゃんの高校に行くから。」

尚美は頭が良い。
学校の成績も良いが、頭の回転であるとか、閃きであるとか、勘が良いというか。
天才肌というやつだろう。
私は尚美が試験前以外に勉強しているところを見たことがない。

「ねえ、お姉ちゃん。」
「何?」
「何かあったでしょ?…声が震えてる。」
「え、あ、何もない。うん。」

ふうん、と尚美は言ってそれ以上追及しない。
何があったかなんてばれているだろうが。
エレベーターが三階に着くと、我が家は目の前だ。

「ただいま。」
「あ、季更!今電話かかってきたのよ。沢渡君って子から。ほら出なさい。」

玄関に上がって早々、母は受話器を持ったまま現われ、それを私に押し付けた。
沢渡――最悪だ。
私は自分の部屋に閉じこもり、受話器に耳を近づけた。
保留音が鳴ってる。そのまま出てやりたくない衝動にかられる。
規則的なクラシックの音楽が、部屋の暑さと混ざって私を朦朧とさせる。
クーラーを付けて、ベットに座った。ギシッとベットが鳴いた。
覚悟は出来てないけど、保留を解く。

「あ、季更ちゃん?早速電話かけちゃいましたー!誰でしょう?」

私の脳裏に、茶髪の左耳ピアスが携帯に耳を近づけ、馬鹿みたいに叫んでいるのが映る。

「…沢渡…くん、何の用?」
「早速?しかも当たってるし!ぴんぽんぴんぽーん!でわ豪華商品をあげましょう。」

私は呆れて物が言えない。
勝手に電話してきて、勝手に流れを作って、それに私を巻き込もうとする。

「…あのさー季更ちゃん?」
「はい。」
「俺と付き合わない?」
「はい?」

いきなり電話をかけてきてそれですか。
軽い男は嫌いだ。
お兄ちゃんは、私を自分の流れに巻き込んだけれど、ここまで勝手じゃなかった。
むしろ私が望んで巻き込まれていったのだけれど。

「だからさー、僕の彼女になりません?」
「…いやです。」
「え、即答?」
「…切りますね。私お腹すいてるんです。」

しばらく沈黙が続いた。もう本当に切ろうと、受話器から耳を離そうとした時だった。

「…ねえ、俺知ってるんだよ。」

心の中がざわめいた。心臓が早鐘のようになる。
あの時の感覚と同じ。尚美が私とお兄ちゃんの関係に気付いた時と。

「季更ちゃんさ、藤本先輩とできてたでしょ?」

予感は的中。でも何で沢渡が知ってるの?
緊張が解かれたと同時に、胸が熱くなって涙が込み上げてきた。
しゃくり声で私は応えた。

「な…なんでっ知ってるの…?」

否定する気はなかった。
事実だったし、私は認めていたから。
あの日の新幹線の後姿を見たときまで、私達は確かに「恋人」だった。

「今から会おうよ。理由も教えてあげるよ。今、君のマンションの下にいるんだけど。」

窓から乗り出して、下を見る気にはならなかった。
確かにいると思ったから。
私は電話を切り、一目散に階段をかけおり、外に出た。
むっとした湿度の高い熱気が私を包んだ。
眩しくて、なかなか視界に物が入らない。

「季更。」

声と同時に、私の体にかかってきた適度な体重。
私は後ろから抱かれている体勢になっているのだろう。
体温が制服を通して伝わる。
気のせいでなかったら、沢渡と思われる私の後ろにいる男の心臓はとても早く脈打っている。

「さ、沢渡君?」
「うん。」

振りほどこうと思えば振りほどけた。でも私の本能がそうさせない。
どうしてか、まだこの温度を味わいたかった。
じわりとお腹に汗が流れる。暑いから。決して冷や汗ではない。

「ずっと、君を見てたから分かったんだ。」

茶色の髪がさらさらと、私の肩を撫でる。

「藤本先輩のこと、忘れろとは言わない。けど、俺と付き合ってみて欲しい。違った世界も見えると思うから。」
「うん…。」
「俺、二番目で良いから。」
「うん…。」

私は沢渡の方へ向き直って、沢渡の腰に腕を巻きつけた。
ぎゅっと力を入れて、もっと体温が欲しかった。
何故だか安心できたんだ。
また涙が込み上げてきて、私は声を殺しながら泣いた。
私が泣いている間中、沢渡はずっと私を抱きしめてくれていた。

「沢渡。」
「ん?」

いきなり呼び捨てで驚いたのか、沢渡の声は裏返っていた。
私はクスクス笑いながら言った。

「ピアスはだめ。茶髪も黒に染め直してね。」

次の日、沢渡は左耳のピアスはなくなり、茶髪も黒になり、おまけに縁無し眼鏡をかけてきた。
そう、お兄ちゃんを思わせるように。
おかげで私は、まだまだお兄ちゃんのことを忘れられそうにない。
二番目の君。でもいつか、一番になるような気がするよ。


-fin-

 




























 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送