゜・*:.。.新幹線.。.:*・゜


その日は本当に暑かった。
小さくなっていく新幹線を見つめていた。
家族が私の肩を押すまでずっと見つめていた。
陽射しの加減で屋根付きの私達が立っているプラットホームに日陰がなくなった。
暑い。
顔が涙でぐしゃぐしゃになって、頬は紅潮し、最高の不細工な顔になっていても、私はそんなことどうでも良かった。
行かないで――ただそれだけだった。

「さ、季更帰るよ。」

父は私の肩を掴み、歩かせようとする。母はしょんぼりと肩を下ろしていた。
妹は、私の顔をちらちら見ては、目が合いそうになるとそらした。

「お昼ご飯何にしようか?」
「鰻が食べたい。」

妹が言う。母は、そうねーと考えている。

「じゃあたまには。お兄ちゃんには悪いけどね。」
「やったあ!」

妹は大袈裟に飛び上がる。
私は、母の「お兄ちゃん」の一言でまた目頭が熱くなった。
必死にこらえる。
いつもは六人テーブルに五人で座るのに、今日は四人テーブルで四人座った。
お兄ちゃんがいないから。
母は、うな重を四つ注文して、

「五つって言いそうになっちゃった。」

と明るく言った。

「毎日、電話はかけさせるんだろ?」
「ええ、そう言ってたけど。どうかしら?」

母が笑いながら言った。

「どうして?」

妹が真剣に聞く。

「向こうで彼女ができたらそんな暇ないんじゃないかしら。」
「かけるよ。」

私は勝手に口から出てきた言葉に驚いて、てのひらで口を押さえた。
また私の目はみるみる赤くなり、涙腺が緩む。

「季更はお兄ちゃん子よね。中三なのに、まだたまにお兄ちゃんの部屋に入ったりしてたもの。ねえお父さん。」

母は、微笑いながら父に話を振る。
妹は、しまったという顔をして下を向いてる。

「まあ、兄弟が仲が良いということは良いことだな。」

店員がお吸い物をテーブルに並べた。
鞠のような可愛いふがゆらゆらとお吸い物の中を泳ぐ。
お兄ちゃん子じゃない。『好き』なんて言葉でまとめないで欲しい。
『愛してる』と言う方がしっくりくる。
そうだ。私は本当に愛してた。
やがて店員はうな重を四つ持ってきた。
私以外の三人は割箸を割り始めていた。

「季更、食べないの?」
「ううん。冷めてから食べる。熱いと食べれない。猫舌だから。」
「季更は猫舌なのか?」

父が驚いた。そりゃそうだ。今、作ったばかりの私の性質だから。

「さあ、どうだったかしら?じゃあ冷めたら食べなさいね。」
「うん。」


*


妹は――尚美は――いつから気付いていたんだろう。
ばれないようにしていたつもりだった。
私がお兄ちゃんの部屋に行くのも、何気なしに――勉強を教えてもらう振りをして――していたはずだ。
そうだ、たぶんあの時だ。
三ヶ月前、両親が青森に旅行に行った時。
三人で留守番をしていた時だ。
妹は友達の家に行くと言って家を出た。
だから私とお兄ちゃんは二人になって、兄弟から恋人になる。

「ご飯…作るね。」
「俺、チャーハンがいいな。」
「わかった。待ってて。」

黒髪で縁無しの眼鏡が良く似合う、身長が高いお兄ちゃん。
昔から友達に

「季更のお兄ちゃんかっこいいね。」

と言われるくらいだった。
その頃はまだ純粋に、お兄ちゃんとして好きだったから自慢だった。
それがいつしか、友達のその言葉さえも嫉妬に感じるようになっていた。

私は台所で人参をみじん切りし始めた。
サクサクサク、共働きの両親だから、料理は自然に上手くなった。
それに、作った料理に文句をつけながらも食べるお兄ちゃんを見ると、頑張ろうと思った。

「ごま油で炒めてね。」
「はーい。」

とても近くで声がした。
はっと後ろを向こうとしたその時に、お兄ちゃんが私を抱きしめた。
体温が布を通して伝わる。
あったかい――

「それサラダ油。」
「ごめん。」
「お仕置きだね。」

そう言って、お兄ちゃんは私の唇に自分の唇を重ねた。
数十秒後、お兄ちゃんはそっと離して、にこっと笑いかける。

その後、出来上がったチャーハンの湯気越しにお兄ちゃんの顔を見るのが恥ずかしかった。
どことなくよそよそしかった。
尚美が横に居た。たぶんその時に気付いたのだろう。

ある日、尚美はこう言った。

「お姉ちゃん。私、知ってるよ。」

私は聞こえないふりをして、勉強した。
その時の心臓は早鐘のようで、今もその感覚は忘れない。

それから、三人で留守番の時は、尚美は気を利かせて外に出かけていた。


*


割り箸をパキンと気持ちよく音を鳴らせて割った。
尚美は驚いて私を見た。

「あ、食べるの?まだ熱いわよ?」
「大丈夫、猫舌直った。」
「訳のわかんない子ね。」

母はまた、目で父に合図を送った。
父は、そうだな、とだけ言ってうな重をまた食べ始めた。

私はまた恋をするだろう。
そしてその人は、どこかお兄ちゃんに似てるんだ。
髪が黒くて、縁無し眼鏡で、背が高くて、意地悪で、ほっとする笑顔をくれる。

北海道の大学に行ってしまったお兄ちゃん。
一年に、夏休みとお正月の二回しか帰って来れないといった。
それを私は、二人きりの時、お兄ちゃんの部屋で聞いた。
泣きじゃくる私をお兄ちゃんはそっと抱きしめて言った。

「ゲームは終わり。三ヵ月後、俺が札幌行きの新幹線に乗ってゲームセット。」

ゲーム――
ゲームじゃない、分かってたけど胸が痛かった。
「愛してる」と言って抱きしめる兄の腕はちゃんと本当だったから。
思いついたように言った「ゲーム」って言葉は、より哀しさを増徴させた。

「俺はこれから先、結婚もするし、子供も作る。」
「私…っ、お兄ちゃんしか好きになれないよお…。」

私はお兄ちゃんの腕の中で首を振って涙を流した。
お兄ちゃんのTシャツに涙が染みこんだ。

*

あれから三年たった今、お兄ちゃんは毎日電話をしなかった。
そして、一年に二回帰ると言った約束も破った。
私には彼氏ができて、お兄ちゃんは今度彼女を実家のうちに連れてくるらしい。

それでも私は貴方が好きだろう。
三年経った今でも、哀しい夜に思い出すのは貴方の笑顔と体温。

さあ、鰻のおいしい季節がやってくるのを感じる。
あの小さくなる新幹線の後姿を思い出しながら。


-fin-






























 
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